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大学への挑戦

迷い〜私は母と同じ事をしたのではないか

この秋の入学を目指して準備を進めてはいるものの、実はこのまま進めるべきかどうか迷いもある。

ひとつ、引っかかっていることがあるからだ。

私は子どもの許可なしに大学に行っていいのだろうか❓

時は9年前のこと…
『頑張って絶対合格するからN大学を受験させて🙏』
そう、何度も子どもにお願いされたにも関わらず、
私は『NO』を返して受験させなかった。

当時、私はひとりで子育てしていた。
不安定な派遣の私の収入では、子どもの成長とともに余裕がなくなってくていた。

小学校から受験塾に通わせ、中学受験をさせた。
第一志望に合格し、中高一貫の丁寧な教育を受けさせることができた。
子どもが高3になった頃、収入が少し減り、徐々に厳しくなった。
授業料の捻出が厳しくなり、子どもの担任の先生に相談して、給料日まで納入を待ってもらう月も出てきた。

大学受験をどうするか…。
大学に入学してからは奨学金を利用する方法も考えられた。
しかし、その前に立ちはだかったのが受験にかかる費用だった。
受験料は受ける大学や回数が増えるほどかさむ。さらに、本命の合格発表を待つ間には、滑り止めの大学へ入学金を納めなければならない場合もある。
当時の私には、その費用を用意することができなかった。

情けなかった。

担任の先生にも家庭の事情を相談し、子どもには指定校推薦で大学進学を目指してもらうことにした。

当然、子どもは納得しない。
私の経済状況など知らない。
クラスメイトは自分の行きたい大学を自由に選んでるのに何故❓となる。

もう金銭的余裕がないことを話し、何とか指定校推薦で受けるC大学にしてもらう。
C大学希望の校内選考には受かった。

だけど、子どもは簡単には「あ、そうですか」とは納得できない。
N大学がダメなら、確実に受かりそうな県外のS大学はダメかと、他への受験を打診してくる。

県外なんて尚更行かせられない。
親子2人、ハタから見ると普通に余裕ありそうに見えただろうけど、現状は日々Excelで収支をつけて、今月の支払いをどう回すか….と、まるで自転車操業のような綱渡りの日々だった。

子どもの学校では全員がセンター試験を受ける事になってたが、その、確か1万5千円程が捻出出来なかった。担任と相談してうちの子は指定校推薦でセンター試験は実際は不要だったため、受けなくてよいことになった。
クラスメイトに分からないように色々配慮もしてもらった。

卒業までの間、授業料は何とか工面し、
大学入学費用は教育ローン等も利用し、何とか無事に入学。

子どもは留年もせず4年で卒業してくれた。ありがたい。

私の収入では大学費用の半分弱しか捻出できない為、残りは子どもに奨学金を借りてもらった。

現在、子どもは社会人となり結婚もし、奨学金を返し続けている。

そう、
私は子どもに希望大学を受験させなかったのだ。
大学費用も全て出したわけじゃない。
まだ子どもはその大学の費用を返し続けている。

この状態で、私は子育てが終わったと言えるのかな。
自由に私が学ぶことをスタートしていいのかな….。

実は毎晩、そのような事を考える。
今がスタートするチャンスだとか、
行かない理由はないとか
言っているけれど、
もしかして、私は自分勝手ではないのか⁉️

子どもに志望校受験をさせず、指定校推薦で妥協してもらった私がしたことは、

もしかして

42年前に、私が母親から受けたこと、
『どういう方法、学校であろうと、進学はさせない』という、あの拒絶とじゃわらなうにではないか….

そう考えると、私は、子どもの許しがなければ、事を進めてはいけないような気がしてきた。

悩む私を知る夫は
〇〇は、そんな子じゃないと思うよ。
心配なら、オレが聞いてみようか。
という。

いや、夫に聞いてもらうのは違う気がする。
コレは、夫と再婚前の、私と子どもとの話。

思い切って、子どもに相談してみようか…
でも、あれよね…過去のこと今さら言われても子どもは困るかもしれないよね…

果たしてどうすべきか、悶々としている。

大学へ行きたい気持ちと、親としての後悔。
私の答えは、まだ見つからない。

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日々の暮らし

本日晴天☀リアルと脳内のドライブ事情

いつものようにZUMBAの曲を流している。
この時間が私にとってコリオ(振り付け)の確認だったり、新しい曲のコリオを作成したりする時間だったりする。

時々ナビで行き先を確認する。
そこに表示されるいくつかの地名。それも気になる。
この場所なぜこの地名がついたんだろうか、と。

橋を渡る。
この川って昔からココにあったのかなぁ。
それとも人工❓流れが変えられて今に姿になったのかなぁ。今度調べてみよっかなぁ。

ふとZUMBAの曲に意識が戻る。
Cumbiaの曲、私好きなリズムのひとつ。
コロンビア発祥。
昔、奴隷として連れて来られたアフリカ系の人々が奴隷解放や求愛ダンスとして踊ったのが起源らしい。
で、それって具体的にどこから連れて来られたんだっけ(今度調べたいな)❓

信号待ちをする。
朝の散歩から帰るだろう人々が視界に入る。
この辺りは歩きやすいんだろうなぁ、平地だし、歩道も広い。

様々な事が入れ替わり立ち替わり、私の脳内を駆け巡る。

そして、40分があっという間。本日のレッスン先に到着。

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大学への挑戦

卒業証明書

ポストを見るとレターパックがあった。
電話で問合せの後、書面で依頼した高校の卒業証明書だ。

実は、20代後半の頃も依頼した事があった。
通信制の大学に行こうと思っていたから。
当時はまだ高2の時の担任が在職中。
担任の先生にお願いしたらすぐに用意してくれた。
しかし、私は取りに行かなかった。
大学行きたい‼️行こう‼️
そう思って、準備や計画を進めてみたのだが、
どう考えてもスクーリングの費用と休暇が無理だよね….。
自分の働いた給料から家賃を払い、車にかかるお金や保険、生活費を考えると厳しい。
スクーリングに行くには休みを取らないといけない。休めば給料は減るし…。
スクーリングに行くには、交通費が必要。
宿泊費も必要。
気持ちはあっても現実は難しいよね…。
そんなこんなで、今は考えないようにしようと自分に言い聞かせ、結局高校に卒業証明書は取りに行かなかった。
数年後、「どうして来なかったの❓用意して待ってたのに。」と元担任から言われ、とってもバツが悪かった。
なんだか、自分が狼少年になった気がした。

時は流れて、今回。

定年退職などで、元担任も、知ってる先生ももう居ない母校。
先週電話をかけた。

ちょっと訛りのある地方都市のイントネーション。懐かしかった。
とても丁寧に手続きの流れを説明してくださった。

早速、レターパックに返信用レターパックや身分証、そして定額郵便小為替を入れて送った。

それが、今日返ってきたのだ。

手書きの手紙
聖書のことばのしおり2つ

卒業証明書だけではなく、それらも同封されていた。

私を見捨てなかった母校らしさがそこにもあった。

何故だか、鼻の奥がツーンとした。

辞める辞めると。
やめたい‼️とあれだけ言っていた母校。
卒業してからもあたたかい。

手紙はお守りにしようと思う。
しおりはテキストや書籍を読む時に使おう。

あの時、私が退学願を書いても先生方は受け付けなかった。

大人はわかってくれない‼️
と、反抗して、先生にも、くってかかった(言葉でね)。

だけど、私は卒業した。
きっと当時の先生方も私には苦労したのかも….。

30年以上ぶりに再会した同級生の話によると、実際、私は随分学校に助けられていたらしい。

どうしたら私を学校に来させるようにできるか、
どうしたら荒れている私を救えるか、
そんな話がクラスメイトと教師の間であったらしい(知らなかったけど)。

今回届いた、

卒業証明書
手紙
しおり

それらを机に並べてみて
『時は来たんだ(大袈裟かな💦)‼️ やるしかない‼️』

と、身が引き締まる思い。

ところで、初めて知ったんだが
卒業証明書って開封したら無効なのね。

どんなふうに書いてあるか見てみたかったなぁ。

8月の出願に向けて、他にも揃えるものや、準備することがある。

着々と進めて、まずは出願〜入学目指そう‼️


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大学への挑戦

40年越しの夢。大学へ行く決意

50代なかばで、今の夫と再婚。


私はフルタイム勤務を辞めた。
そして私はフリーのZUMBAインストラクターとなった。


50代後半で子どもが結婚して独立。

そしてアラ還の今
⇒大学に行けない理由がなくなった。


仕事はしているが、持っている仕事は、業務委託レッスンと自分で開催するレッスンなので、計画的に事を運べば、少々の時間は捻出できる。
長年の私の想いを聞いていた夫は応援してくれる。
資金は? そこが問題なのだが、無理のない程度に卒業までの計画を立てたら大丈夫そう。

・・・と、ここまで来て
この状態になって、
「行きたい!行きたい!」と40年間も言い続けてた大学に「行かない選択」って逆にある????

ないでしょ!!!

と、こころの中で自分に言ってみた。

そうだよね、行きたければもう自分の意思と努力で行ける。

人はいつどうなるかわからない。


年齢とともに体力も落ち、健康にも若干自信はなくなってきている。
だから尚更、「今でしょ!!!」

私、大学行けるよね?
(卒業はまた別問題でも)

「やってみたらいいよ」と、夫のやさしさに感謝しつつ、
どこの大学にするか、何を学ぶか、何をしたいか
そういうことを調べた。

もちろん、夫にも相談しながら。

そして決めた。

大学行くよ!!

約40年、この機会を待ったんだもん。
やってみるよ。

途中挫折しそうになるかもしれないけど、その時はこのブログを読み返してみようと思う。

40年待ち続けたんだから、40年かけて卒業したらいいよ!
っていいたいところだが、毎年払う学費もできるだけ押さえたいし、
そもそも、40年後は平均寿命からいうと私はいないかもれしれないので(苦笑)

12年在学できるらしいから、12年で卒業できればいいか・・・と
表向き言ってはみるものの、密かに6年で卒業したいと思ってる。
(ここで言っているので密かではないけど)

レポートって何?

私に書けるの?

スクーリングって実際どうなの?

試験ってわたし、受かるの?

不安はいっぱいありすぎるぐらいあるんだけど、
とりあえず、やってみる。

40年間待ち続けたんだから。

まずは、入学に向けて、今はいろいろ準備しなきゃだよね。

頑張れ!!!自分。

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自己紹介

どうして私は大学に行けなかったのか

「大学って行ける?」
そう聞かれたら、「行けるよ」って答えるよね。
きっと行くことは簡単?
卒業は難しいって聞くけど。

行けるか、行けないか。
この問題、実は私にとっては大きい。

10代(小学生時代)の私
 ⇒単純に誰でも問題なく行ける(進学して卒業できる)と信じて疑わなかった。ブラックジャックが好きで、5・6年生の時は医者になろうと思っていた。ちなみに、小4までは、ピンクレディーになりたかった(笑)
子どもって、なりたいものに成れるって思ってるもんね。

10代(中学生時代)の私
 ⇒だれでも行けると思うけど、まずは受験して合格しないとダメ。
  だから、成績によって必ずしも入学できるとは限らないことに気づく。
  将来は通訳ガイドになりたいと思っていた。


10代後半
15才
⇒中3の私は、小4・5と中2の長期入院で欠席していた期間の学習を取り戻し切らず焦る反面、憧れていた上智大学に、行きたい行きたいと言っていたら、なんとなく行けそうな気がしてた、天然(?)
現実を知らないので、猛勉強などしてません(苦笑)
社会と理科の偏差値はたしか30台、国語と英語は60台前後。数学は覚えていないけど、平均以下だと思う。社会と理科は致命傷ね・・・。
小学校時代の長期入院で分数のあたりが抜け落ちてたけど、できないまま。
高校受験にむけて、取り戻すべき学習内容が多くて、塾でも特別に補習を受けていたのだけど、まったく追いつけず、数学(算数レベルですね)と社会の暗記物、理科は放置気味。

16才
⇒高校受験は第一志望の公立進学校に落ちた!!!
第二志望の私立進学校に入学。
入学後まもなく、親族の会社が倒産。
親から、大学進学は諦めるように説得される。
途中から貸与型奨学金を受けたが、それは家の生活費になり、学費滞納の常習犯になる。学校までの定期券が購入出来ないこともあった。
私が私立に行ったから(生活が)苦しいのだというような事も言われていたので、私は一旦退学して翌年の公立再受験をしたいと親にお願いするも、世間体を理由に却下。
色々あり、私は登校を拒否。家にも帰らなくなり、自暴自棄になる。
(この話の詳細は後日また….なが~いストーリーがあるので)


17才
⇒いつでも高校は辞める気満々!勉強をする意味が見いだせず日々紋々とする。
そんな中、入った部活は楽しく、授業は受けず部活登校や保健室登校をするようになる。
やはり勉強はしたい気持ちはあるが、自分の置かれた状況に納得できず…受け入れられない。
夜間大学や働きながら学べる専門学校+短大、新聞奨学生など調べて、どうにか卒業後は進学させてもらえないか、すべて自分の力で行くからと親に懇願するも、進学すること自体がどんな方法でも許されず….。
自暴自棄第二期。

18才
⇒やはりあきらめきれず、幼馴染のおばちゃんに相談。「うちから(下宿して)通えばいいよ」と言ってもらえ、それを親に伝え、すべて自分でお金はどうにかすると言ってもやはり、却下。就職して、弟の為にお金を入れるように言われる。
ちなみに…母親は昔ながらの考えで、男の子を大学に行かせたかった。しかし、弟にその気は全くなかった。
殆どの在校生が、同じ学園内の短大や、系列や提携の大学に進学する。そんな中、社会人スポーツで就職する方や親の会社に入る方等を除くと純粋な就職組はごくわずか。
言われるままに、秋の就職活動で就職先を決めたら、『これで満足でしょ!あんたの言う通り就職決めたんだから、もういいでしょ!』と完全な自暴自棄第三期突入。そのまま卒業までほぼ登校拒否。私は卒業式もでていない。

小学校、中学校時代の学習できなかった時期は、私が勉強しないことを選んだわけではない。不可抗力っていうの?どうしようもなかったこと。

しかし、事情はどうであれ、高校3年間、まったくと言っていいほど勉強しなかったのは、自分の意思。
言い訳したらカクカクシカジカ前述のとおりの理由はあるのだが、結局は勉強しなかったのはワタシ。
学びたい、知りたい、学習したい!そんな思いはずっとあったが、あえて全く勉強しないことで私なりの精一杯の反抗とこころの叫びだった。
また、そうする事によって、私はギリギリのところで精神状態を保ってたんだと思う。

就職期

20代
⇒バブルの名残で地方都市はまだ潤っていた。
本屋に行っては、通信大学の事が載っている本を買ったり、地元の夜間大学のパンフをもらいに行ったりしていた。
だけど仕事も忙しく、また、とても楽しい時期。残業も今じゃ考えられない夜中に近い時間まで。
20代半ば、少し仕事が落ち着いた頃、地元の夜間短大に行こうと思い。入学金と授業料を貯めた。
10代で家を飛びだしていた私には、もう親は関係ない。自分の力で進学することが可能になった。
夜間短大に行くには、毎日会社を1時間以上早退しないといけない。
会社に相談したのだが、毎日早退なんて難しいよね。
もちろん許可はでない。
契約社員になるとか、パートになるとかだったら可能だけど。
それじゃ家賃を払って食べて行くのは難しい。
通信制大学についても検討したが、地方都市の為、スクーリングが地元でない!
今は生活するために、進学は難しいといったん、断念。いずれ時期が来ると信じて。

30代
⇒出産、子育て期
子どもにはなんとしてでも、大学まで進学させたいと強く思っていた。
そして、子どもが大学卒業して落ち着いたら、私も大学に行きたい!
そう思いつつ、少しでもお金があれば、自分のことではなく子どもに使いたいのが母親。
大学のことは時々調べつつ、子どもの成長が楽しく、生活は大変だったけど、我が子と暮らせることがとても幸せだと感じていた。
ずっと仕事も続けていたので、日々は超多忙。だけど幸せ♪

※30代の終わりに生まれた土地である名古屋に戻る。
このことにより、スクーリング問題が解消されるため、通信制の大学への進学の選択が広がる。

40代
⇒子どもの中学受験~大学入学
自分ができなかったこと、子どもが学校に通って勉強したり受験したり、部活に打ち込んだりしている事。それがとても嬉しかった。
この頃は子どもにも「ママはいつか大学に行きたい」という話をしていた。
大学に行けないという理由が、「親」でも「職場の事情」でも完全になくなり、私の意思で今は行かない選択になっていた。
自分が行くなら、子どもをまず行かさなきゃ!

50代
⇒子どもの大学卒業~就職~結婚
子そだてに終わりはないけれど、私の子どもの学習についての責任期間が終了(でいいよね?)。
まだ仕事はフルタイムで続けていたので、私の大学進学の時期ではない。

それでも、「大学へ行きたい」という気持ちだけは、40年間ずっと消えなかった。
そして、人生が少しずつ変わり始める。
(続く)

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ブログ運営

初投稿(なぜWordPressか)

このブログはWordPressを利用している。

年齢とともに記憶力というのは薄れていくのか、「あとでやろう」「書かなくても大丈夫、覚えてるし」「こんどアレやろう」そう思っていること、考えていることが頭の中から飛んでしまうことが増えたような気がする。
いや、気がするのではなく、確実に増えているかも(笑)

字を書く事、メモを取る事が苦手。
学生時代も授業中ノートが取れない。生活の記録(日記)というものがあったのだが、「もっときれいな字で書きましょう。」と担任から赤ペンが入る。

今回、無謀にも大学で学ぶ事に決めた私は、とにかく記録ややるべきこと、やったこと、言いたい事(?)を、どこかにノートをとるように記録しておきたいと思った。

その中で、時差投稿、前後投稿、カテゴリわけが自由にできる、階層が作れるetc…
使い勝手も自分の好みにしたかった(欲張り)ので、行きついた先がWordPressでブログを自分で作る方法だった。

何事もそうだが、既存のもので満足しないところは、今後の学習においても、色々回り道をしそうで、少し(だいぶ)自分の事を心配している。

まぁ、どうにかこうにかして、真夜中にWordPressができあがったらしく、こうして初の記事を書いてみている。

サーバーを借りて、ドメインを取得して・・・というところから始めたので、このブログ開設までに1週間を要してしまった。
ここでも、私のややこしい性格がおまかせ設定やレンタルということを許してくれず、サーバー借りるところからやってしまった。
常々、効率の悪い性分だと思う。

しかしながら、これも勉強!
何度か投稿していくうちに、WordPressの使い方もわかっていくのかな。

ちなみに、説明書やマニュアルを読むのはすごく苦手です・・・・。